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  • 執筆者の写真kurokiyuta

見知らぬ街からの手紙 パート2


こんにちは。12月に入りました。今年もあとひと月ないんですね。

アルバムを発売してから約一か月。発売前も忙しかったですが発売してからさらに忙しくバタバタとした日々を過ごしております。ありがたいことです。


前回に引き続きライナーノーツとして制作のお話をこちらで書いていきたいと思います。


前回書いた通り僕は弾き語りアルバムの制作を決めました。といってもだんだんとそんな想いが募ってきたような感じなので厳密にいつ決めたのかは定かではないのですが、実際に行動に移したのは昨年の4月ころだったと思います。


前の2作を宅録で作っていたので今回も同様自宅で録音を始めました。

4月から初めて5月か6月には確か11曲くらい録り終えたと思います。ちょうど最初の緊急事態宣言が発令されてライブを休んでいた頃でしょうか。

この時の演奏は悪くはなかったのですが宅録が素人同然の僕にはどうしても音質面の不安が付いて回りました。確かに過去作品は宅録でなんとか完成させましたがだからこそ特別エンジニアの勉強をしたわけではない僕の技術と機材ではどうしても限界があることにも気づいてました。このまま不安を抱えたまま制作を進めていけばたとえ完成しても後悔を残してしまうのではないかとさらに不安を感じるようになりました。

結局この時の録音は編集作業に入ることなくお蔵入りとなり数か月が過ぎてゆきました。


その数カ月は緊急事態も明けていたのでライブ活動も本数は少ないものの再開していました。ただ再開してライブもやりさえすれば楽しくできてはいたのですがそれでも自分の活動が止まってしまってるような感覚はどうしてもあってそれが日に日に増していってそのことに苛立ちを感じるようにもなっていきていました。今書いたのは僕の場合ですがこの頃そんなふうに感じていたミュージシャンばかりだったのではないでしょうか。

とにかく僕は音源制作を進めていかないとと改めて考えどこかのレコーディングスタジオで録るというやり方でいこうと思いました。さてではどこのスタジオで?ということになってくるわけですが例えばどこか県外の評判の良いスタジオでという選択もなくはなかったのですがコロナ禍であることと予算の面も厳しいということもあり県外に出るのは難しく地元で探す必要がありました。


そこで真っ先に思い浮かんだのが青田ケンイチさん(以下青ケンさん)がオーナー・エンジニアを務める『ECHO Studio』でした。

このブログを見てくれてる方ならご存知ない方はいらっしゃらないかとは思うのですが青ケンさんは静岡を代表するミュージシャンの一人であり初代ライブハウスUHUの店長であり十数年来の僕の先輩です。


青ケンさんがスタジオをやっていたのは知っていたしスタジオ始めたばかりの頃に遊びにおいでよと声をかけてもらったこともありました。いつか行こう行こうと思いながら数年経ってしまいました。今にして思えば本当にもっと早くいけばよかったと思っています。

とにかく僕は青ケンさんにレコーディングのお願いをして青ケンさんも快く引き受けてくださいました。

まずはお話だけでもということでECHO Studioでミーティングしました。これが僕の初めての訪問でした。確か2021年の正月が過ぎてすぐ後の事だったと思います。

僕は弾き語りという形でアルバムを作りたいこと、自選ベスト盤的な作品にしたいこと、今自分の中にあるものをすべて出して一度空っぽになりたいこと等々お話ししました。

青ケンさんは僕が話終えるたびに「イイねイイね」と笑って答えてくれました。


青ケンさんはむちゃくちゃな性格で大変だという話を昔からよく聞きましたが(もちろんそんな青ケンさんがみんな大好きだった)僕はたまたまなのかこれまでそういった場面に出くわすことはなく僕にとっては普通に優しくて面白い先輩でした。

青ケンさんは全力で僕の音楽と向き合うと言ってくれてました。

青ケンさんが一緒によい作品を作ろうとしてくれてる気持ちでいてくれたことで僕も頑張ろうと思えたし身を引き締めることができたと思います。嬉しかったです。


そうしてようやくアルバム制作が本格的にスタートしました。

本レコーディングの前に僕が家で簡単なデモ音源を作って歌詞カードと一緒に持って行ったのを覚えています。

デモを聴いた青ケンさんは「ユウタは思ってたより繊細でロマンチックなんだな(笑)」とメールをくれました。それまでの青ケンさんの中の僕のイメージはどんなものだったのでしょうか。今となっては謎なんですね。


続く

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